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兵役逃れ(へいえきのがれ)とは、さまざまな手段を用いて国家が強制的に課す兵役(徴兵制度)から逃れる行為。一般に兵役に初めから参加しないで済ませる行為を指す。徴兵忌避(ちょうへいきひ)とも呼ばれる。 ==概要== 入隊中に兵役から逃れる人々は、「脱走兵」と呼ばれ、戦闘中に部隊から許可なく離脱すると逃亡兵となる。個人で行われる場合は、入隊時に必要な徴兵検査を利用して行われることが多い。 日本においては、律令時代には兵役がありこれを逃れるために戸籍上女子にした。 近代では明治政府が発足し法制として徴兵令が施行された。 当初、免役規定対象の「一家の主人たる者」、「嗣子並に承祖の孫」(承継者)、「養家に住む養子」となるため養子になるものや、徴兵令施行、免役規定の縮小・廃止が遅れた北海道の一部地域に本籍地を移すものが続出した。 夏目漱石も北海道に本籍を移して(送籍)〔ここから同音で漱石という筆名を考え出したという説が存在する〕、兵役を逃れたという。その後も志願制の植民地支配下の朝鮮や台湾などの「外地」に移住し、逃れる者もいた。 第二次世界大戦中では、理工系の旧制大学・旧制専門学校の所属によって兵役が免除されたため、進路を理工系にとるものが発生した〔学徒出陣で対象となったのは主に文科系の学生である。〕。 また、政治的有力者の子弟などはさまざまな手段で兵役を逃れるものもあり、国会議員の息子の鶴見俊輔のように、軍属となることで兵役を逃れ、前線に比べ安全な内地にとどまるものもいた〔しかし、一般の市民が兵役を逃れた場合村八分などにより、親族みなが肩身の狭い思いをすることや、厳しい官憲の監視がありほとんどが兵役についた。また鶴見は結核にも関わらず何故か徴兵検査に合格したので、軍属になって逃れるしかなかった〕〔徴兵検査の診察を行うのは軍医であり、軍医学校では兵役逃れのための詐病(仮病)の見破り方が教育されていた。また逆に士官学校などの志願者の診察も行うために匿病の見破り方も教育されていた。〕。なお、三島由紀夫は、入営検査の時(徴兵検査は合格していた)に軍医が気管支炎を肺浸潤と誤診し帰郷となった〔『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)〕。 また、醤油の一気飲み(一時的に肝炎と同じ症状になる)などによって体調を悪化させることによって徴兵検査で不合格となる手段が存在していたとされるが、実際に行うことはほとんど不可能であった。理由は日本の徴兵制度において、個人の特技や健康状態から思想までが一つの帳簿として各村役場の職員に把握されており、にわかな病気はすぐに見破られたからである。 兵役法によれば、兵役を免れるために逃亡潜匿し、または身体を毀傷し、病気を作詐し、その他詐りの行為をなす者は3年以下の懲役に処せられる。現役兵として入営すべき者が正当の事由なく入営の期日に後れ10日を過ぎた場合は6月以下の禁錮に処せられる。 戦時には5日を過ぎた場合に1年以下の禁錮に処せられる。 正当の事由なく徴兵検査を受けない者は100円以下の罰金に処せられる(74条以下)。 日本以外では、韓国においては、男性タレントやスポーツ選手・政治的有力者の子弟などが身体的な不都合などを捏造し、兵役逃れを行っていることが社会的な問題となっている。全てが兵役逃れの結果ではないが、2014年に行われた韓国統一地方選挙の立候補者のうち11%が、市長、道知事候補に限れば22%が兵役未了者であった。 またアドルフ・ヒトラーは第一次世界大戦前に母国であるオーストリア=ハンガリー帝国軍からの兵役をドイツ国内で逃れたのち、ドイツ帝国陸軍に志願入隊した。ベトナム戦争では徴兵制度のあったアメリカやオーストラリアで特に反戦運動の高まりに伴って行なわれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「兵役逃れ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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