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兵頭 正懿(ひょうどう まさし、1847年11月15日(弘化4年10月8日)〔『愛媛県史 人物』513頁。〕〔『人事興信録』初版、1096頁。〕 - 1910年(明治43年)8月13日〔『東京朝日新聞』1910年8月16日、朝刊7頁「死亡広告」。〕)は、幕末の新谷藩士、明治期の内務・大蔵官僚、検察官。官選千葉県知事。 ==経歴== 伊予国で新谷藩士・兵頭正行の長男〔として生まれる〔。幕末の江戸で国事に奔走し、明治元年(1868年)、三条実美の参謀を務めた〔。 明治2年(1869年)明治政府に出仕し少史に任官。以後、記録権頭、秋田県参事、島根県参事、長崎県参事などを歴任〔〔。 1875年、少検事となり、函館控訴院検事長、高等法院予審掛検事を歴任。福島事件、高田事件を担当した〔〔『新編日本の歴代知事』333頁。〕。 1884年、大蔵省に転じ、主税官、酒税課長、参事官、預金局長などを歴任。1893年3月20日、千葉県知事に就任。産業振興に尽力〔〔。1896年8月12日、知事を依願免本官となり退官〔『官報』第3938号、明治29年8月13日。〕。 その後、朝日鉱山(株)社長などを務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「兵頭正懿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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