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兼平綱則[かねひら つなのり]
兼平 綱則(かねひら つなのり)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。津軽氏の家臣。森岡信元・小笠原信浄と並ぶ大浦三老の一人。 兼平氏は、大浦氏当主・大浦盛信の弟である父・兼平盛純が兼平村(現在の弘前市兼平)を領し、そこに館(兼平館)を構え、兼平を姓としたことに始まる。 大浦三老の一人として、大浦為信(津軽為信)に尽力し、数々の武功を上げた。参陣した主な戦としては和徳城攻め・浪岡城攻め・大光寺城攻め・天正7年(1579年)7月4日の六羽川合戦・田舎館城攻めがある。 慶長19年(1614年)に隠居するが、その後も重大な政事には関与した。元和5年(1619年)7月、信濃国川中島藩への国替えの内示が来た際には、綱則が登城し、断固反対したと伝わる。 子・信秋、孫・信孝も津軽氏の家老職を務めている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「兼平綱則」の詳細全文を読む
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