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兼松光(かねまつ ひかる、1944年8月8日 - )は、日本の音楽プロデューサー、作詞家である。CD-CREDITの英語表記はHikaru flash Kanematsu。愛知県名古屋市出身。作詞家として倉敷光、作曲家としてMichael Morati(マイケル・モラティ)のペンネームがある。株式会社フラッシュポイント代表取締役。ニックネームのflashの名付け親はブロードキャスターのピーター・バラカン。長谷川きよし、井田リエ & 42nd Street、当山ひとみ、アメリカ合衆国出身の女性コーラスグループA.S.A.P.のプロデュースほか、映画、テレビドラマ、ゲーム等の音楽のプロデュースも手がける。 == 経歴 == 東海中学校・東海高等学校卒業後、成蹊大学政治経済学部に進学する。 大学卒業後、1967年に株式会社新興楽譜出版社(現シンコーミュージック・エンタテイメント)に入社。レコード原盤制作システムの創成期に、訳詞家漣健児の要請により原盤制作プロデューサー〔原盤制作プロデューサーとは、レコード会社のプロデューサーではなく、音楽出版社や、アーティスト・プロダクションが原盤権を持っている場合に於ける、レコード会社外部の音楽プロデューサーの細分化の総称。〕となる。グループ・サウンズ、カレッジ・フォーク、ニューミュージック、ジャズからクラシックに至るまで幅広い音楽シーンのプロデュースに関わってきた。 1978年にフリーランスとして独立し、株式会社フラッシュ・ミュージックを設立する。キングレコードに、当時では珍しいプロデューサーズ・レーベル「フラッシュ・ミュージック・レコーズ」を作る。長谷川きよし、井田リエ & 42nd Street、1980年代には当山ひとみ (Penny) 等々のR & B系のアーティストを育てる。 1987年、日本コロムビアに財津和夫、上田正樹らを迎え、プロデューサーズ・レーベル「トライアド (TRIAD) 」を設立。レーベル名「トライアド」の名付け親でもある。1987年1月1日、トライアド・レーベルの第一弾作品として、財津和夫のシングル「償いの日々」(with 原みどり)、アルバム「City Swimmer」をリリースする。 1988年、村上春樹の小説「ノルウェイの森」をイメージした海外録音企画アルバム「ノルウェーの森」(LAワークショップ)、「ノルウェーの森Ⅱ」(LAワークショップ with ニューヨーカー) を制作。1990年代に日本に逆カヴァー・ブームを巻き起こした黒人女性3人グループA.S.A.P.(アサップ)をプロデュースする。コロムビア・レコードは、このトライアド・レーベルでの多くのヒットにより、歌謡系レコード会社というイメージを一新し、POPS系のアーティストが育つ基盤を作った。 1992年、株式会社「ロウズ」〔作詞家、作曲家のマネイジメントオフィス「ロウズ」には作詞家の康珍化、戸沢暢美、田口俊、芹沢類、白峰美津子、大森祥子、田久保真美、作曲家では亀井登志夫、階一喜、住吉 中、上野義雄等々の作家が所属していた。〕の代表取締役に就任。 1998年、作家マネイジメント会社「ロウズ」と音楽制作会社の「フラッシュポイント」(名義変更)に分社し、「フラッシュポイント」の代表取締役および「ロウズ」の出版取締役を兼務、現在に至る。 2006年、村上春樹に捧げる海外録画企画アルバムの第三弾『アメリカから届いた「10のオマージュ」』を制作すると同時に、その録音エピソードをつづった単行本『音楽家たちの村上春樹』を執筆する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「兼松光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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