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内堀保 : ウィキペディア日本語版
内堀保[うちぼり たもつ]

内堀 保(うちぼり たもつ、1917年3月12日 - 1997年1月30日〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、83ページ〕)は、長崎県長崎市〔出身のプロ野球選手。ポジションは捕手
== 来歴・人物 ==
長崎商業では、1933年春の甲子園に出場。卒業前のに大日本東京野球倶楽部へ入団〔するが、学業途中でプロ野球に入ったことから、文部省から長崎商業に通達があり、内堀は卒業を取り消された(1980年に卒業が認められた)〔『巨人軍の男たち』54ページ〕。
2月からの第一次アメリカ遠征に参加する。巨人入団当初は中山武の控え捕手であったが、中山の応召を受けてに正捕手となり、沢村栄治ヴィクトル・スタルヒンらとバッテリーを組んだ〔。また、同年東西対抗戦に選出されている。1938年に応召し、1941年の一時的な復員を挟んで、北支ビルマを転戦する〔。ビルマ戦線では、内堀のあとの正捕手を継いだ吉原正喜と面会を果たし、戦後の巨人再建を誓い合ったという〔『巨人軍の男たち』55ページ〕。
戦後、8年のブランクがあった上に戦地でを痛めていたが、に巨人に復帰する。に捕手から投手コンバートした多田文久三の後釜として、から2年間正捕手を務める。からはコーチを兼任しながらプレーし〔、に現役引退した。
から二軍監督・コーチを歴任。からスカウトとなり〔、後にスカウト部次長を経て、まで務めた〔。
没後の1998年に現役時代のユニフォームが地元の長崎県に寄贈され、長崎県営野球場の資料展示室に展示されている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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