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内外ビルディング : ウィキペディア日本語版
内外ビルディング[ないがいびるでぃんぐ]

内外ビルディング(ないがいビルディング)は、かつて日本東京都千代田区丸の内にあった建築物である。
== 沿革 ==
東京市麹町区八重洲町一丁目1番に土地を保有していた大日本製糖が、自社の社屋に加え商業ビルの経営を企図して1922年(大正11年)に内外ビルヂング会社を設立〔『三井不動産四十年史』 87-90頁〕。直ぐ様建設に着手したものの、完成が目前に迫った1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が発生し建築中の建物は全壊〔、作業員300人以上が犠牲となった。
震災での崩壊を受けて設計をやり直し、1925年(大正14年)11月24日に地鎮祭を挙行し1926年(大正15年)2月21日から再度工事を着工。1927年(昭和2年)7月31日に竣工し、同年8月に大日本精糖が本社機能をここに移した〔『日糖六十五年史』 500頁〕。なお竣工当初、ビル名を昭和ビルディングとしたものの、後に内外ビルディングに名称を戻している〔。
終戦直後の1946年(昭和21年)3月に内外ビルディングは連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) に接収され、1952年(昭和27年)12月の接収解除まで将校宿舎「エンパイヤーハウス」として使用された〔『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』 上巻495頁〕。接収解除直前の1952年10月に内外ビルヂングは三井不動産会社傘下となったため、解除後は三井不動産によってオフィスビルとなった〔。1954年(昭和29年)から1966年(昭和41年)までは富士重工業の本社も所在していた。1956年(昭和31年)12月には増築に着手し1958年(昭和33年)1月14日に完成、1962年(昭和37年)4月に再増築を行った〔『三井不動産四十年史』 134頁、641頁〕。だが度重なる増築にも関わらず建物自体の陳腐化・老朽化は避けられず、1979年(昭和54年)1月に解体。現在跡地には丸の内三井ビルが建っている〔『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』 下巻343-346頁〕。また三井不動産傘下となった内外ビルヂングは1969年(昭和44年)3月27日に第一産業会社と合併して、商号を内外不動産と改め現在に至る〔『三井不動産四十年史』 260頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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