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内川聖一[うちかわ せいいち]
内川 聖一(うちかわ せいいち、1982年8月4日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(外野手、内野手)。 右打者の史上最高打率(.378)、史上2人目の両リーグでの首位打者獲得、歴代3位タイ(右打者としては1位タイ)となる7年連続年間打率3割などの記録の保持者。2009年・2013年WBC日本代表。 == 経歴 ==
=== プロ入り前 === 吉田豊彦とは子供の頃からの知り合いである。大分工業高校時代は、骨に穴があく骨嚢腫により左かかとを3回に亘って手術しながらも、通算43本の本塁打を放った。3年夏の高校野球大分予選には遊撃手として出場したが、チームは準優勝となり、甲子園には出場できなかった。 当時、大分工業高校の監督でもあった父親の内川一寛が法政大学出身だったため、内川も法政進学が確実視されていたが、ドラフト会議で横浜ベイスターズから1位指名を受けて入団〔【11月17日】2000年(平12) 実質1年で43本塁打!難病克服した内川聖一、横浜1位指名 スポニチ〕。広島東洋カープも指名予定だったが、当時足に故障を抱えていたため、内川はヘッドコーチの大下剛史主導による広島の猛練習に不安を感じていたとされ(NHK総合テレビ、2001年2月1日放送『にんげんドキュメント・村上孝雄 -いつか輝く原石を求めて-』でもそのシーンが放送された)、もし広島から1位指名された場合は拒否をして進学するとしていた。ちなみに横浜との入団契約の際には、故障の治療を保障する条件が盛り込まれている〔『広島スカウト』 第三回 朝日新聞 2000年11月の記事より〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内川聖一」の詳細全文を読む
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