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内柴 正人(うちしば まさと、男性、1978年6月17日 - )は、日本の柔道家(五段)。学位は学士(体育学)(国士舘大学・2001年)。元九州看護福祉大学客員教授。オリンピックの柔道男子66kg級で2連覇を達成した。 == 人物 == 熊本県合志市出身、同県玉名市在住。9歳で柔道を始める。そのきっかけは「兄にケンカで勝つため」だった。得意技は巴投。尊敬する選手は野村忠宏。身長160cm、体重66kg。血液型はB型。 国士舘高等学校を経て国士舘大学卒業後、旭化成に入社した。2004年に開催されたアテネオリンピックや、2008年に開催された北京オリンピックでは、それぞれ柔道男子66kg級にて金メダルを獲得した。その後、競技生活も晩年に差し掛かる2009年より、指導者も務めるようになった。旭化成を2010年末に退社後、九州看護福祉大学にて客員教授に就任し、2011年1月から11月29日まで同職を務めた。 中学時代から頭角を現し、パワーとスタミナのある攻めを生かし男子60kg級で活躍。オリンピック金メダリストの野村忠宏を追う存在として期待を集めた。一方で減量に苦しみ、大事な試合で失格を繰り返したため、こだわっていた60kg級でのオリンピック出場を断念。 66kg級に階級を上げて臨んだアテネオリンピックで金メダルを獲得した。全ての試合をそれぞれ違う技で一本勝ちを収めるという珍しい記録を残している〔「内柴正人」近代柔道 ベースボールマガジン社、2004年10月号、19-21頁〕。 週刊新潮が報じたところによると、北京五輪直前に酒に酔って俳優・渡瀬恒彦の運転手に暴行、後遺症が残る怪我を負わせたが、金メダル候補ということもあり内密に示談したという〔『「石原軍団」元名物専務と「内柴正人」男と男の約束が破られた』 週刊新潮 2011年12月29日号〕。 北京オリンピックでは、柔道日本代表チームの主将に指名され、決勝でバンジャマン・ダルベレに縦四方固めで一本勝ちし、野村忠宏以来の男子柔道連覇を達成。同大会の日本人選手の金メダル第1号となった〔「内柴正人」近代柔道 ベースボールマガジン社、2008年9月号、8-12頁〕。 現役時代は常に体脂肪率4%以下を維持していた〔近代柔道(ベースボールマガジン社発行)2001年10月号の「解体新書 内柴正人」によれば、高校時代から体脂肪率はずっと9%だと記されている。〕。野村忠宏が引退するまでは現役でいることをかつて出演したテレビ番組にて発言していたが〔『BRAVO!』読売テレビ 2008年9月5日放送より〕、2010年10月、野村より自らが先に現役を引退することを決意したことが報道された〔柔道の内柴、第一線退く サンケイスポーツ 2010年10月16日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内柴正人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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