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内海ミキ : ウィキペディア日本語版
北野幹子[きたの みきこ]
北野 幹子(きたの みきこ、旧姓:松田1951年 - )は、大阪府出身の1970年代に活動した女性漫才師
== 人物 ==
夫はタレント漫才師映画監督ビートたけし(北野武)。子供は長男と、長女の北野井子。また、レーシングドライバーの松田秀士は弟。
実家は寺〔オールナイトニッポン&高田文夫編『ビートたけしの不幸中の幸い』ニッポン放送、1986年、p.175〕。武庫川女子大学附属高等学校を経て、武庫川女子大学短期大学部卒業。在学中にピンアップトリオのピンアップ敦子の門下に入る。司ミキの名で司ミワと組んで、ミキ&ヤワの女子大生コンビとして1971年に漫才師デビュー〔『女性セブン』1987年10月15日号〕。すぐ渚ミキに改名させられる、その後、前田五郎に一時師事した後、東京に移り内海桂子内海好江の門下となり、内海ミキと名乗り同じ門下の内海ミチ(野々深知)と組むも2年で解散。
1978年にアシスタントを務めていた『大正テレビ寄席』でツービートビートたけしと知り合って同棲、1980年結婚。たけしが売れない時代は近所のスナックでアルバイトをして家計を支えた。1981年3月に長男、1982年10月に長女の井子を出産。たけしはいつ結婚したかの覚えはないというが、1983年に正式に入籍した〔〔北野武『余生』ロッキング・オン、2001年、p.76〕。
結婚後は引退していたが、1981年10月10日に放送のバラエティ番組オレたちひょうきん族』の「ひょうきん夫婦漫才」という企画では、たけしと組んだ夫婦漫才を披露した。この回の視聴率は13.4%だった〔高田文夫責任編集『笑芸人』1999冬号 VOL.1、白夜書房、1999年、pp.20、98〕。また、1993年頃には北野ファンクラブで頻繁にネタにされていた。たけしの収入を管理する会社の代表を務めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北野幹子」の詳細全文を読む



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