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内海安吉 : ウィキペディア日本語版
内海安吉[うつみ やすきち]
内海 安吉(うつみ やすきち、1890年 - 1976年4月11日)は、日本政治家自由民主党衆議院議員宮城県桃生郡鳴瀬町を経て現在の東松島市)出身。自民党衆議院議員で建設大臣国土庁長官を務めた内海英男は長男。
==来歴・人物==
1890年(明治23年)桃生郡小野の農家に生まれる。1910年(明治43年)日本大学法律科を卒業し、日本電報通信社に入社し政治記者となる。同社の京城支局員、大連支局長を経て、奉天公報社長、帝国新報社長を務めた他、内閣嘱託として、興亜院に入り、上海で勤務する。この間、帰国中に執筆した「産業立国策」が犬養毅に評価され、1930年(昭和5年)立憲政友会から第17回衆議院議員総選挙に立候補するが落選する。その後も1937年(昭和12年)第20回総選挙1942年(昭和17年)第21回総選挙にそれぞれ立候補するがともに落選した。
戦後は内地に引き上げ、1946年(昭和21年)戦後第一回目の総選挙となった第22回衆議院議員総選挙に立候補し当選する。内海は鳩山一郎らの新党創設に参加し、日本自由党創立委員となる。自由党では党務部長、総務などを歴任する。保守合同後は自民党に参加し、建設政務次官、衆議院建設委員長や内閣委員長を歴任した。地元の北上川総合開発を始めとし〔、全国の河川道路を現地調査し、土木政策に通じた。
1976年(昭和51年)4月11日死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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