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内海英華 : ウィキペディア日本語版
内海英華[うつみ えいか]
内海 英華(うつみ えいか、1960年6月17日 - )は、大阪府大阪市出身の上方寄席囃子三味線奏者、女道楽師。本名、田中 愛子(たなか あいこ)。上方落語協会会員。松竹芸能所属。現代における上方寄席囃子三味線の第一人者である。独身。初芝高等学校卒業。
== 来歴 ==
少女時代から落語に興味を持ち、特に2代目桂春蝶のファンだった。中学卒業時と高校卒業時に春蝶に入門を志願したが断られている。学生時代はソフトボール部所属で、ポジションはキャッチャー。その後も寄席に出入りしているうちに講談の3代目旭堂南陵の知遇を得、1978年に南陵に入門、旭堂 南蝶を名乗る。1979年新世界新花月で初舞台。しかし病を得たこともあり1年で廃業。1981年漫才内海カッパに入門し現在の芸名を名乗る。
「おんな放談」で一世を風靡した吾妻ひな子にも興味を持ち、ピン芸人志向が強かったこともあって、入門後三味線の稽古を始め、1982年、カッパから紹介された寄席囃子三味線方の桑原ふみ子(長唄の杵屋柳翁)に師事。桑原 あい子の名を許され、1984年より寄席囃子を始める。並行して漫談師としても活動。
2002年2代目桂春団治五十回忌追善興行に参加した事がきっかけで、春団治未亡人の河本寿栄(先代 桂春駒)のもとで、上方では長く絶えていた演芸「女道楽」の復活に乗り出す。
最近は海外での英語を取り入れた高座やジャズとのコラボレーション(内海英華 with 宗清洋と粋~てすとさうんど)、出囃子の編曲(5代目桂文枝の「廓丹前」)、さらには演歌歌手など、活動の幅を広げている。
2009年8月26日、国立文楽劇場にて「平成の女道楽 内海英華でございます」という独演会を開催、その席で立花家橘之助が十八番としていた浮世節の「たぬき」全曲を演奏する。
山田五十鈴が芸術座公演「たぬき」の劇中で披露して以来、誰も全曲はしてはいなかったのを英華が演奏し、評判となる。
幕切れに「これからは、英華のたぬき、と言われるように…」と口上を述べたように、現役の芸人として「たぬき」全曲版を演奏できる唯一人の芸人である。
2013年1月30日、2012年度文化庁芸術祭賞(文部科学大臣賞)の大賞受賞者として如水会館で開催された贈呈式において表彰を受けた。
*写真集「みすじのいとに」(寄席、高座、普段着などの場面に加え、なんと、入浴場面では後姿ながら、セミヌードを披露している)
*CD「平成の女道楽、内海英華でございます」(上方寄席囃子、上方の唄などを収録)
2016年1月9日WOWOWにてドキュメンタリー番組「ノンフィクションW たったひとりの伝統芸~女道楽・内海英華の粋~」を放送。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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