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内田俊雄 : ウィキペディア日本語版
内田俊雄[うちだ としお]

内田 俊雄(うちだ としお、1946年11月24日 - )は、アマチュア野球指導者。元亜細亜大学硬式野球部監督、現・拓殖大学野球部監督。広島県広島市出身。
== 経歴 ==

=== 現役時代 ===
広島商業時代からスラッガーとして鳴らし二年からレギュラー。招待試合で下関商業池永正明(のち西鉄)からホームランをたたき込んだ事もある。広島商業在籍時は、藤田訓弘(のち南海阪神)、桑原秀範(のち広島商業他監督)、一年で3番を打った三村敏之らを揃えた強力チームだったが甲子園出場はならなかった。
1964年亜細亜大野球部入部。高校時代の遊撃手から二塁手に転向し主力選手として活躍。四年時には主将を務め東都大学野球連盟リーグ戦で優勝を果たした。リーグ通算89試合出場、282打数65安打、打率.230、0本塁打、21打点。ベストナイン1回。
卒業後社会人野球三協精機で活躍。1971年第42回都市対抗野球大会では光沢毅監督下でベスト4入りに貢献。1974年から新設された社会人野球日本選手権大会第1回大会でも、不動のトップバッターとしてチームを牽引し同選手権初代王者に貢献した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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