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内田 利雄(うちだ としお、1961年10月5日 - )とは、埼玉県出身〔の騎手である。浦和競馬場藤原智行厩舎所属。 勝負服の柄は「桃・白星散・桃袖」である〔「ミスターピンク」が東京でトークショー(11/23) (地方競馬全国協会、2004年11月19日)〕。この勝負服の色にちなみ「Mr.PINK(ミスターピンク)」〔、「ピンクの勝負師」〔の異名を持つ。 == 来歴 == 父がかつて川口オートレース場に所属したオートレース選手で、父の元同僚に地方競馬の宇都宮競馬場での関係者がおり、その縁から紹介され、当初は宇都宮競馬場で騎手となった。 1978年10月7日、宇都宮競馬場にて初騎乗し、翌10月8日に初勝利を収めると、以降、地方競馬で通算3145勝、JRAで通算3勝(2009年終了時点)を挙げる。この間、ブライアンズロマン、ベラミロードなどの名馬とともに、栃木地区のナンバーワン騎手として北関東競馬のみならずダートグレード競走でも活躍したほか、中央競馬のレースにも騎乗し、2002年のラジオたんぱ賞を人気薄のカッツミーで制し重賞制覇を果たしている。 売り上げの不振や同じ北関東競馬に属する高崎競馬場、足利競馬場の廃止により単独での興行が困難となったことなどの原因により、2005年3月14日のレースを最後に宇都宮競馬場が廃止されたため、それ以降はどこの競馬場・厩舎にも定着しない事実上のフリー騎手として、日本各地の地方競馬場および日本国外の競馬場を転戦していた。2012年4月12日、埼玉県浦和競馬組合に移籍、小嶋一郎厩舎に所属することが発表された〔内田 利雄騎手の移籍について (浦和競馬、2012年4月12日)〕。2012年度はそのまま各地を転戦し、福山、岩手、園田、佐賀で騎乗した。 2011年1月9日、釜山競馬第1レースで海外(韓国・マカオ)通算100勝を達成した〔内田利雄騎手 海外通算100勝を達成 (地方競馬全国協会、2011年1月11日)〕。同年4月3日、KRAカップマイル(韓国GII)をメイセイオペラ産駒のSoseuldaemunで優勝し、韓国での重賞初制覇〔内田利雄騎手、メイセイオペラ産駒で韓国版皐月賞を制覇! - netkeiba.com〕。 小嶋一郎調教師の引退により、2014年8月1日付けで藤原智行厩舎所属となる。 なお2013年現在、地方競馬において「内田」姓を名乗る騎手は彼のみであるが、JRA所属の「内田博幸」との混同を避けるため、予想紙上では、「内田利」と表記されている。(反対に、JRAの予想紙には、「内田博」と表記されている。) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内田利雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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