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内田喜吉(うちだ きよし、1931年3月15日 - )はラオックス元社長。東京都出身。ラオックス創業者の谷口正治とは遠縁にあたる。 1948年に中央商業学校を卒業後、谷口商店に入社。同年7月には谷口電機から分離した朝日無線電機に転じる。以降、1959年に常務取締役、1974年に専務取締役を経て、1976年にラオックスの専務取締役となる。1981年、副社長に就任。1990年にはラオックスのザ・コンピュータ館の立ち上げも行っている。 1991年6月、ラオックスの2代目社長に就任。1995年6月まで4年間つとめた。 ラオックス社長を退任後は株式会社ダイエー・メディア・ソリューションズの代表取締役専務をつとめている。 == 参考文献 == * 『帝国会社役員知名人名鑑 : 関東版. 1993』帝国データバンク、1993年 * ラオックス株式会社編『ラオックス70年史 : 1930-2000』ラオックス 、2010年 * 高橋範夫『ラオックスザ・コンピュータ館 : 「電気の街」秋葉原のいま』光栄、1995年 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内田喜吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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