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内田清之助 : ウィキペディア日本語版
内田清之助[うちだ せいのすけ]
内田 清之助(うちだ せいのすけ、1884年(明治17年)12月1日-1975年(昭和50年)4月28日)〔朝日新聞(東京)夕刊, 1975年4月30日「内田 清之助氏」〕 は、日本の鳥類学者。

* 日本鳥学会第3代会頭(在任期間1946-1947)〔
* 日本鳥学会名誉会頭〔。
== 人物 ==
1884年(明治17年)12月1日、東京都中央区銀座(当時は東京市京橋区)五丁目角のたばこ屋に生まれた〔。中学時代から自然にあこがれ、旧制第一高等学校の二部乙類に入学〔里見大作. 内田清之助先生と駒場.〕。1908年(明治41年)東京帝国大学農科大学獣医学科に進学、卒業後は鳥学者となり、東大卒業後副手〔唐沢孝一. 3代会頭 内田清之助 UCHIDA Seinosuke. 日本鳥学会誌61(2)日本鳥学会100年の歴史, 14, 2012.〕。獣医学士。1918年(大正7年)に農商務省によって「狩猟法」の改正がなされ、「農林業上有益な野生鳥獣の保護繁殖と狩猟鳥獣の利用増殖」を目的とした「鳥獣調査事業」が始まり、内田はその総括・指導のため農商務省技師に任ぜられた〔。その後、農林省鳥獣調査室長などを歴任した〔。
1975年(昭和50年)4月28日、心筋梗塞のため死去〔。90歳。
1925年 東京帝国大学 農学博士 論文の題は「Studies on amblycerous mallophaga of Japan(日本産隠角羽虱類の研究)」〔博士論文書誌データベース〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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