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内藤信成 : ウィキペディア日本語版
内藤信成[ないとう のぶなり]

内藤 信成(ないとう のぶなり)は、戦国時代から江戸時代前期の武将譜代大名。一説に松平広忠の庶子で徳川家康の異母弟とされる。
== 出自 ==
藩翰譜』では嶋田某の子で、内藤清長の養子、あるいは母は松平広忠の寵愛を受けて信成を身籠り、嶋田景信に嫁して3月後に出産、事情を知った清長がこれを養子として育てたとの所伝ありとする(新人物往来社刊行本『新編 藩翰譜』2巻101頁)。また生母は広忠の侍女で、小野次郎右衛門の娘という説もある(汲古書院『朝野旧聞藁』658頁に「秘録曰く」として)。一方、『寛政重修諸家譜』(以下『寛政譜』)では、内藤右京進某(義清)の娘(清長の姉妹)と嶋田久右衛門景信の子(新訂13巻183及び185頁)とされている。
なお『寛永諸家系図伝』では内藤家長の養子として扱い、家長が実子をもうけたために、別に家康に仕えたとされていた。しかし天文15年(1546年)生まれの家長が、年長の信成を養子とする理由はなく(『寛政譜』新訂13巻185頁按文。また家督は実子の政長が継いでいる)「貞享書上」〔一例として、国立公文書館内閣文庫刊行本『譜牒余録』中巻414頁所載「内藤家伝」。清長の姉婿・島田久右衛門の次男を養子として迎えたのが信成としている。〕において清長の養子として訂正され(同前)、以降『藩翰譜』『寛政譜』はこれに従っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「内藤信成」の詳細全文を読む



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