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内藤信有 : ウィキペディア日本語版
内藤信有[ないとう のぶすみ]

内藤 信有(ないとう のぶすみ)は、江戸時代中期の旗本陸奥国内藤家棚倉藩の分家当主・内藤信全の養子。
寛文13年(1673年)7月11日に遺領を継ぎ、同年徳川家綱御目見する。同5年定火消となり、また布衣の着用を許される。貞享2年(1685年小姓組番頭となる。同3年従五位下筑後守に叙任されたが、元禄1年(1688年)10月26日、配下の不祥事の責を問われて謹慎となり、のち許されて小普請に貶められたという〔「寛政譜」新訂13巻204頁には「隊下の士三枝喜兵衛某が事により逼塞せしめられ」とある。〕。
元禄11年(1698年)3月7日、常陸国の采地をあらためて、駿河国富士郡および駿東郡の内に移された。
享保17年2月29日、江戸において死す。享年86。法名は直岸。葬地は三田浄閑寺とされている(「寛政譜」)。
== 出典 ==

*『新訂寛政重修諸家譜』13巻 続群書類従完成会、1984年 同書204項

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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