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内藤信興 : ウィキペディア日本語版
内藤信興[ないとう のぶおき]

内藤 信興(ないとう のぶおき)は、越後村上藩の第3代藩主。第2代藩主・内藤信輝の次男。
== 経歴 ==
享保5年、江戸で生まれる。父・信輝の死去により同10年(1725年)10月25日、6歳で遺領を継いだ。享保21年(1736年)1月28日、将軍徳川吉宗御目見し、同年12月16日に従五位下紀伊守となる。同2年6月19日、はじめて村上に入部した。
宝暦11年(1761年)5月25日、子の信旭に家督を譲って隠居し、のち明和元年閏12月28日(1765年2月17日)に大膳亮と改めた。また同8年8月3日、剃髪して「昌山」と号したという(以上「寛政譜」新訂13巻203頁および『新編 藩翰譜』2巻所載系図、128頁)。
安永9年(1780年)5月5日、江戸で死去した。享年61。葬地は小石川の無量院(廃寺)。現在、墓所は新潟県村上市の天徳寺に移されている。
『村上郷土史』107頁には「表入用之儀追々相滞 甚差支候」「公務にも可相障 安心無之候」と、逼迫する江戸での財政状況を伝える書状が掲載されている(年次不明。同書では元文5年と推定)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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