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内藤晴三郎 内藤 晴三郎(ないとう せいざぶろう、1877年(明治10年)3月13日〔『大衆人事録』〕 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。大分県別府市長。 ==経歴== 広島県比婆郡八幡村(現在の庄原市)出身〔『全国市長銘鑑』p.108〕。1895年(明治28年)、広島県師範学校を卒業し〔、東城町立森小学校校長を務めた〔『人事興信録 第14版』〕。1904年(明治37年)、中等教員検定試験に合格し、豊田郡立女子技芸学校教諭・校長を務めた〔『人事興信録 第9版』〕。1918年(大正8年)、高等文官試験に合格し、広島県属、同神石郡長、島根県理事官・視学官、同学務課長、同庶務課長・会計課長、大阪府理事官・都市計画課長・地方課長〔、北海道庁事務官・産業部長〔、大分県総務部長を歴任した〔。 退官後の1938年(昭和13年)に別府市長に選出された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内藤晴三郎」の詳細全文を読む
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