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内藤用一郎
内藤 用一郎(ないとう よういちろう、1900年(明治33年)6月25日 - 没年不明)は、日本の実業家。貸しビル業〔『日本綜合紳士録(西日本編)』発行所・新日本株式会社、日本秘密探偵局、発行人・南尚道、調査責任者・日本綜合探偵社、1971年、196頁。〕。元・内藤ビル取締役社長〔。元・修猷館同窓会副会長〔歴代役員名簿 修猷館同窓会。2016年1月15日閲覧。〕。元・修猷館柔道倶楽部副会長〔。毎日新聞記者をへて政治家竹下登(第74代内閣総理大臣)の秘書をつとめた内藤武宣は三男。漫画家の影木栄貴やミュージシャンのDAIGO(本名・内藤大湖)は孫。 == 経歴・人物 == 福岡県福岡市出身〔。1921年、福岡県立中学修猷館(現・福岡県立修猷館高等学校)を卒業〔。学生時代、柔道選手として活躍〔。1924年、大林組入社〔。1934年、福岡支店主任庶務主任〔。1940年、京城支店総務部長〔。1943年、小倉区九州合同製器専務取締役就任〔。1944年、九州採炭新手鉱業所総務部長〔。 1946年、岩崎組取締役副社長就任〔。1949年、内藤建設創立取締役社長就任〔。1950年、県小学校父母教師会連合会結成、会長就任〔。1951年、日本父母と先生全国協議会理事〔。同年県学校給食推進協議会会長〔。1966年、社名を内藤ビルに変更、取締役社長に引き続き就任〔。 趣味は読書、スポーツ〔。宗教は真宗〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内藤用一郎」の詳細全文を読む
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