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内藤興盛[ないとう おきもり]
内藤 興盛(ないとう おきもり)は、戦国時代の武将。守護大名大内氏の重臣。大内義興、義隆の2代に仕え、約半世紀にわたり長門国守護代、評定衆など重職を占めた。 == 生涯 ==
=== 大内氏文武の要 === 伯父の内藤弘矩は大内氏重臣として権勢をふるったが、讒言により謀反の疑いがかけられ、その子弘和と共に大内義興に誅殺された。冤罪と分かり、義興の意向で弘矩の弟で興盛の父弘春が家督を継承することになる。興盛は弘矩の娘を娶り、内藤氏の当主となる。 義興に仕え、宿老として長門守護代を務めた。義興の上洛にも参陣し、享禄元年(1528年)に義興が死去した後は子の大内義隆に仕える。義隆の時代には家中随一の大身の重臣となった。評定衆を務め、天文9年(1540年)の吉田郡山城の戦いには陶隆房(晴賢)らと共に援軍として派遣された。また、同11年(1542年)の月山富田城の戦いにも出陣し、菅谷口攻めを担当し毛利元就らと攻撃したが抜くことはできなかった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内藤興盛」の詳細全文を読む
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