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内藤頼以[ないとう よりもち]
内藤 頼以(ないとう よりもち)は、江戸時代後期の大名。信濃高遠藩の第6代藩主。高遠藩内藤家11代。 安永5年(1776年)、陸奥福島藩主・板倉勝矩の五男として生まれる。寛政3年(1791年)12月、高遠藩主内藤長好が嫡子をもうけぬまま死去したため、その養子となって家督を相続する。寛政4年1月27日、将軍徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下大和守に叙任する。文化5年(1808年)6月24日、奏者番に就任する。文政2年9月16日、奏者番を辞任する。文政3年(1820年)隠居し、三男・頼寧に家督を譲った。通称を左京亮に改め、後に静翁と号した。安政3年(1856年)没した。 == 関連項目 ==
* 井上正甫 - 頼以に高遠藩下屋敷(現在の新宿御苑)に招かれた際、不祥事を起こした。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内藤頼以」の詳細全文を読む
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