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内藤 頼博(ないとう よりひろ、1908年3月12日 - 2000年12月5日)は東京府出身の裁判官、弁護士、教育家。元子爵。正三位勲一等瑞宝章。 ==経歴== 旧信州高遠藩主内藤子爵家の第14代当主として東京府豊多摩郡内藤新宿町に生まれる。内藤頼直の孫、内藤頼輔の子。1931年、東京帝国大学法学部卒業。東京家庭裁判所長、広島高等裁判所長官、名古屋高等裁判所長官を歴任。1973年に退官し、弁護士となる。 弁護士業の傍ら、1979年から1987年まで多摩美術大学学長、1975年から1991年まで多摩美術大学理事長、1987年から1993年まで第22代学習院院長を務めた。老衰で死去。 息子の内藤頼誼は元朝日新聞社アメリカ総局長。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内藤頼博」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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