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内貴清兵衛[ないき せいべえ] 内貴 清兵衛(ないき せいべえ、1878年(明治11年)-1955年(昭和30年))は日本の実業家、文化人。日本新薬の創設者、島津製作所・日本電池・京都織物などの役員を歴任、北大路魯山人等のパトロン。 == 略歴 == 1878年(明治11年)、京都市初代市長で実業家の内貴甚三郎の長男として生まれる。和仏法律学校(現法政大学)を卒業後、実家の呉服問屋『銭清』を継ぐ。 1919年(大正8年)に市野瀬潜と共に日本新薬を創設する。また、島津製作所・日本電池など多くの企業で役員を務める。 1928年(昭和3年)から1934年(昭和9年)、1936年(昭和11年)から1941年(昭和16年)まで、財団法人立命館の協議員を務めた〔出典: 『京都法政学校創立事務所 - その場所と人をめぐって -』 著・久保田謙次「立命館百年史紀要 第20巻」〕〔父・内貴甚三郎も、京都法政学校(現在の立命館大学)の設立賛助員を務めた〕。 1955年(昭和30年)に死去、77歳。
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