翻訳と辞書
Words near each other
・ 内谷 (戸田市)
・ 内谷インターチェンジ
・ 内谷中学校
・ 内谷重治
・ 内豎
・ 内豎卿
・ 内豎大輔
・ 内豎少輔
・ 内豎所
・ 内豎省
内貴清兵衛
・ 内貴甚三郎
・ 内貸し
・ 内資洞
・ 内質
・ 内質、内形質
・ 内贍寺
・ 内路恵須取線
・ 内路村
・ 内路駅


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

内貴清兵衛 : ウィキペディア日本語版
内貴清兵衛[ないき せいべえ]
内貴 清兵衛(ないき せいべえ、1878年明治11年)-1955年昭和30年))は日本の実業家文化人日本新薬の創設者、島津製作所日本電池京都織物などの役員を歴任、北大路魯山人等のパトロン
== 略歴 ==
1878年(明治11年)、京都市初代市長で実業家の内貴甚三郎の長男として生まれる。和仏法律学校(現法政大学)を卒業後、実家の呉服問屋『銭清』を継ぐ。
1919年大正8年)に市野瀬潜と共に日本新薬を創設する。また、島津製作所・日本電池など多くの企業で役員を務める。
1928年昭和3年)から1934年昭和9年)、1936年昭和11年)から1941年昭和16年)まで、財団法人立命館の協議員を務めた〔出典: 『京都法政学校創立事務所 - その場所と人をめぐって -』 著・久保田謙次「立命館百年史紀要 第20巻」〕〔父・内貴甚三郎も、京都法政学校(現在の立命館大学)の設立賛助員を務めた〕。
1955年(昭和30年)に死去、77歳。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「内貴清兵衛」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.