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内貴甚三郎 : ウィキペディア日本語版
内貴甚三郎

内貴 甚三郎(ないき じんざぶろう、1848年11月16日嘉永元年10月21日〔衆議院『第二十回帝国議会衆議院議員名簿』〔1904年〕、2頁。〕) - 1926年大正15年)7月9日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(1期、大同倶楽部)、初代京都市長、京都商業会議所会頭。
== 略歴 ==
1848年(嘉永1年)10月、京都の呉服問屋『銭清』に生まれる。京都市会議員を経て、1888年明治31年)に初代民選京都市長に就任する。1904年(明治37年)に第9回衆議院議員総選挙に出馬し、当選する。
また、京都商業会議所の設立発起人に名をつらね、のち会頭となり、京都織物会社委員長、京都株式取引所肝煎、商工貯金銀行頭取、京都商工銀行・京都陶器会社の各取締役などを務め、京都財界四元老(浜岡光哲田中源太郎大澤善助)と称されたほか、京都法政学校の設立賛助員などを務めた〔出典: 『京都法政学校創立事務所 - その場所と人をめぐって -』 著・久保田謙次「立命館百年史紀要 第20巻」〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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