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内野聖陽 : ウィキペディア日本語版
内野聖陽[うちの まさあき]

内野 聖陽(うちの せいよう〔内野聖陽、本名「まさあき」から「せいよう」へ改名 『スポーツ報知』2013年7月10日〕、1968年9月16日 - )は、日本俳優神奈川県横浜市港北区出身。身長177cm血液型AB型〔。本名読みは「うちの まさあき」で、2013年7月までは芸名としても使っていた。
== 来歴 ==
世田谷学園中学校・高等学校早稲田大学政治経済学部卒。大学在学中は早稲田大学英語会 (WESS) に所属。初めての演劇は英語劇で、ちなみにファーストキスはこの時。プレイボーイな役を演じたが、これで一時期、演じることが嫌になり、大学2、3年は出演せず裏方にまわっていた。卒業間近に再び演じたいと思うようになり、1992年平成4年)、在学中に文学座研究所に入所。同期に寺島しのぶがいる。翌年に研修科1年となり、研修中はドラマの端役などで修行を積む。
1996年(平成8年)にNHK連続テレビ小説ふたりっ子』、1997年(平成9年)のドラマ『ミセスシンデレラ』に出演し、文学座の座員にもなった。演劇ではホームグラウンド・文学座で実力・動員で牽引したのはもちろん、他が主宰する演劇にも多数出演。ストレートプレイを活動のメインとしているが、さらなる表現手法の開拓・増幅を目指し2000年(平成12年)に『エリザベート』で初めてミュージカル出演も果たす。この出演が、後の内野の表現法・私生活(後述)においてはターニングポイントとなった。
2003年(平成15年)には主演時代劇蝉しぐれ』の牧文四郎を演じ、放送文化基金出演者賞とモンテカルロ・テレビ祭の主演男優賞を受賞したほか、2004年(平成16年)にもドラマ『エースをねらえ!』に宗方仁役で出演、2007年(平成19年)放送の大河ドラマ風林火山』では主役の山本勘助を演じ、クランクアップ時の会見では「この作品を誇りに思っています」と語って男泣きした。
私生活では『エリザベート』で知り合い交際を続けていた一路真輝2006年平成18年)5月に婚約を発表。7月末に一路と入籍、10月末に女児が誕生した。入籍時点で『風林火山』の撮影に入っており、披露宴は『風林火山』の撮影が終了した2007年(平成19年)10月25日に行うも2011年平成23年)8月18日、離婚届を提出したと連名のFAXにて発表した。
2011年末、デビュー以来約20年間在籍していた文学座を退団し個人事務所設立及びスターダストプロモーションとの業務提携を発表〔オフィシャルサイト 2011年12月18日 NEWS更新分〕。
2013年7月、生誕45周年を機に芸名の読み方を本名の「うちの まさあき」から「うちの せいよう」にすることを発表した。理由は「『まさあき』と読めない人が多かったから」だという〔デイリースポーツ 2013年9月5日「内野聖陽「せいよう」に改名の理由」 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「内野聖陽」の詳細全文を読む



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