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内野辰次郎 : ウィキペディア日本語版
内野辰次郎[うちの たつじろう]

内野 辰次郎(うちの たつじろう、1868年10月8日慶応4年8月23日) - 1933年12月5日)は、日本の陸軍軍人政治家。最終階級は陸軍中将衆議院議員
== 経歴 ==
福岡県出身。医師・内野東庵の二男として生まれる。陸軍幼年学校を経て、1890年(明治23年)7月、陸軍士官学校(1期)を卒業。翌年3月、歩兵少尉に任官し歩兵第2連隊付となる。日清戦争に出征。陸士生徒隊付、陸軍戸山学校教官などを経て、1902年(明治35年)11月、陸軍大学校(16期)を卒業した。
1903年(明治36年)12月、歩兵少佐に昇進し歩兵第22連隊付となり、第11師団参謀、陸大教官を歴任し、1907年(明治40年)11月、歩兵中佐に進級。1909年(明治42年)12月、戸山学校教官に転じ、1910年(明治43年)11月、歩兵大佐に昇進した。1912年(明治45年)4月、近衛師団参謀長に就任し、教育総監部第1課長に転じ、1915年(大正4年)8月、陸軍少将に昇進し歩兵第20旅団長に着任。
1918年(大正7年)7月、歩兵第40旅団長となり、1919年(大正8年)7月、陸軍中将に進み第14師団留守司令官に就任。同年11月、第7師団長に親補され、1923年(大正12年)8月、待命となり、翌月、予備役に編入された。その後、1924年(大正13年)5月から死去するまで衆議院議員を勤めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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