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円錐角膜 : ウィキペディア日本語版
円錐角膜[えんすいかくまく]

円錐角膜 (えんすいかくまく、英keratoconus) は、眼球角膜におこる非炎症性変性疾患である。角膜が薄くなり中心部が突出するため、角膜の曲率が正常範囲を超えて小さくなる。欧名keratoconusはギリシャ語のkerato-(角、ホーン、角膜)及びラテン語のconus(円錐)に因む。
円錐角膜に罹患すると、物が変型して見え、二重に見えたり眩しく見えたりする。しばしば比較的まれな状態と考えられているが、角膜の変性を起こす状態として最も多いものであり、人種によらず1000人に1人程度の有病率である。思春期に発見されることが多く、20-30代に最も重篤になる。
円錐角膜はまだ不明な点の多い疾病で、病因は不明、経過がさまざまで予後を明言することも難しい。両眼に視覚的な歪みがあると患者の行動に不便を来す(自動車やバイクの運転免許取得など)。手術の必要性がありうる。円錐角膜はある程度謎に包まれた疾患である。国際疾病分類第10版(ICD10)でH186、 第9版(ICD9)で 371.6(「その他の角膜炎」)。
== 歴史 ==

1748年、ドイツの眼科医 :en:Burchard Mauchart が博士号の学位論文の中で ''staphyloma diaphanum'' (staphyloma : ぶどう腫、diaphanum : 透明な物の)の名で円錐角膜の一例を記載しているが、1854年になって初めて、イギリスの内科医 ジョン・ノッティンガム (John Nottingham) が他の角膜拡張症と区別して明確に円錐角膜について記述した〔Nottingham J. ''Practical observations on conical cornea: and on the short sight, and other defects of vision connected with it.'' London: J. Churchill, 1854. Canadian archives. 〕。 ノッティンガムは自身が気付いた「円錐状の角膜」の症例を紹介し、不正視(複視)、角膜の脆弱性、古典的特徴を記載した。1859年、イギリスの外科医ウィリアム・ボーマン (:en:William Bowman) は円錐角膜の診断にドイツの内科医兼物理学者ヘルマン・フォン・ヘルムホルツによって開発されたばかりの検眼鏡を用い、鏡をどのような角度に設定すると角膜が円錐形状を呈する様を最もよく検眼できるか記述した〔Bowman W, ''On conical cornea and its treatment by operation.'' Ophthalmic Hosp Rep and J R Lond Ophthalmic Hosp. 1859;9:157.〕。ボーマンはまた、角膜を通して虹彩を微細な鉤で牽引し、瞳孔をネコの瞳孔のように縦方向に細隙状に変型させ、視力の回復を図ることも試み、かなりの成功をみたという。ある18歳の女性患者は20cm離れた指の本数を数えることができなかったが、この手法で視力が改善した。1869年、スイスの先端的な眼科医ヨハン・ホルネルは「円錐角膜の治療について」という題名の論文を執筆した〔Horner JF, ''Zur Behandlung des Keratoconus.'' Klinische Monatsblätter für Augenheilkunde. 1869.〕。これにより、現在用いられている疾患名が用いられるようになった。当時の治療法はドイツの指導的な眼科医アルブレヒト・フォン・グレーフェ (Albrecht von Gräfe) により支持されたもので、硝酸銀によって角膜を焼灼し、加えて縮瞳剤と圧迫包帯を行うことにより、角膜を物理的に形成する方法であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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