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冷泉持為[れいせんじため]
冷泉 持為(れいぜい もちため)は室町時代の公卿、歌人。権大納言・冷泉為尹の子。下冷泉家の祖。 == 経歴 == 応永8年(1401年)、冷泉為尹の次男(または三男)として生まれる。幼名は亀若丸。後小松天皇や将軍・足利義持の寵愛を受け、「持」の字を賜り持和を名乗る(後に持為と改名)。応永29年(1422年)正五位下、永享元年(1429年)従四位下に叙せられる。しかし次に将軍となった足利義教には忌避され、後小松院崩御後の永享6年(1434年)に出仕を止められた〔『薩戒記』永享6年6月12日条。〕。嘉吉元年(1441年)に義教が暗殺されると復帰して、翌嘉吉2年(1442年)従四位上に叙せられる。 左近衛中将を経て、文安5年(1448年)に従三位に叙せられて公卿に列す。翌文安6年(1449年)2月に参議に任ぜられ、改元して宝徳元年閏10月27日に侍従を兼ねた。宝徳2年(1450年)正三位・播磨権守に叙任。宝徳3年(1451年)権中納言に任ぜられた。しかし、宝徳4年(1452年)権中納言を辞任して治部卿に転じる。享徳3年(1454年)8月より病となり、権大納言に任ぜられるが、その翌日に病を理由に出家。9月1日、54歳で薨去した〔『冷泉家譜』によると、応永9年(1402年)の生まれで、享年53とするが、一次史料の『康富記』をはじめとする諸史料の記載に従った。〕。
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