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出川 哲朗(でがわ てつろう、1964年2月13日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優。劇団SHA・LA・LAリーダー(座長)。愛称は哲ちゃん。 神奈川県横浜市神奈川区出身。マセキ芸能社所属。妻は元レースクイーンの阿部瑠理子。大伯父は三鬼隆。曾祖父は三鬼鑑太郎。母方の遠戚に原節子。 リアクション芸人の代表格として、ダチョウ倶楽部と並んで数多くのバラエティ番組で活躍している。 == 略歴 == 横浜市立栗田谷中学校を経て、私立武相高等学校を卒業。なお、プロフィールには高校卒業後の1982年から、月心寺(滋賀県大津市)にて調理実習の経験ありとの表記がなされている。その後、1985年に横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)を卒業。1987年2月、専門学校時代の同級生だったお笑いコンビ・ウッチャンナンチャンの内村光良と南原清隆、入江雅人らと『劇団SHA・LA・LA』(当初は『Project team SHA.LA.LA.』)を旗揚げ、自らは座長となり、公演を開始する(1998年8月に一旦活動休止)。※自らメンバーを含めたギャラ交渉・スケジュール管理をしていた〔内村プロデュースDVD「俺チョイス 出川哲朗」より〕。 1986年から1989年まで、端役ながら映画・男はつらいよシリーズの第37作『幸福の青い鳥』から第41作の『寅次郎心の旅路』まで、5作品連続で出演している。 1990年4月からは日本テレビ系列のバラエティ番組『ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA.』に出演、この頃からテレビタレントとして本格的に活動を始める。 その後、同局の『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』をはじめとした、体を張ったロケ・ドッキリ企画などの際の立ち振る舞い・リアクションの面白さが徐々にお茶の間に浸透し、次第にテレビ番組において欠かせない、いわゆる「汚れ役」としての地位を確立していった。 一方、多くの写真週刊誌・ゴシップ誌の恰好のターゲットともなった(が、本人はそのことすらネタにしている)。また、この「汚れ」キャラクターが世の中に浸透していくにつれ、女性視聴者層から敬遠される傾向が出始め、女性ファッション誌『an・an』が毎年行っている読者アンケート「嫌いな男ランキング」では毎年上位にランクインするようになり、2001年から2005年までに5年連続1位を達成し、「殿堂入り」扱いとしてアンケートの対象から除外された。 1993年、第13回ビートたけしのお笑いウルトラクイズ優勝。 2001年3月31日放送の『オールスター感謝祭'01春 超豪華!クイズ決定版 21世紀最初の特大号』では、Period6でチャンピオンになり、ボーナスクイズにも成功して、賞金100万円獲得した〔第8問で角田信朗と布川敏和の2人が残ったが、2人とも間違えてしまい、賞金がキャリーオーバとなり、全員復活!!となった。その後、総合司会の島田紳助と島崎和歌子のミスで、賞金は25万円ではなく前回のキャリーオーバーが有り、50万円となり、ボーナスクイズも50万円となった。〕。 2004年4月5日、元モデル・レースクイーンの阿部瑠理子と結婚し、嫌われキャラとのギャップで世間を騒がせた。プロポーズの際には、テレビ朝日系列のバラエティ番組『ロンドンハーツ』が全面バックアップ。推定5,000万円の制作費を費やしてイタリア・ローマ市内でロケーションが行われ、一連の模様が全国ネットで放送された。 2006年から出演している『人気者でいこう!』の『芸能人格付けチェック』の事前番組『格付けチェック大予選会』では、11年連続出演で、大予選会皆勤賞だが、本戦には1度も出場していない。2015年の大予選会では、チームFUJIWARAに敗れ、2016年ではチーム陣内ダビッドソンに予選決勝で惜しくも敗れた。 2008年1月に放送された特別番組『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ'08』では、さまぁ〜ず・大竹一樹とのコンビで優勝した。 2009年4月23日にインターネット放送のアメーバビジョンにて、自身初の冠番組となる『出川哲朗の俺をおいしくしろ!』がスタートした(アメーバビジョンスタジオの閉鎖に伴い、2010年3月で終了)。 毎年1月1月『志村・所の戦うお正月』では志村組キャプテンの志村けんとチーム所キャプテンの所ジョージが戦っている、大福ロシアンルーレット対決で5度もタガメを引き当てた。 2011年4月、地上波では初めて総合司会を担当する、『大!天才てれびくん』(NHK Eテレ)の放送開始。 2014年8月、地上波初の冠番組『出川哲朗のリアルガチ』(テレビ東京)の放送開始。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「出川哲朗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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