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出羽元祐[いずは もとすけ]
出羽 元祐(いずは もとすけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏の家臣。毛利元就の六男である出羽元倶を養子とした。石見国邑智郡出羽二山城主。 == 生涯 == 天文13年1月24日(1544年2月16日)、毛利隆元の加冠により元服する。父の死により、出羽氏の家督を継ぎ、天文18年4月22日(1549年5月19日)、大内義隆より家督相続を認められる。 永禄5年(1562年)、出羽氏ら毛利氏に属する石見の国人と敵対していた本城常光が毛利氏に服属する際、元就は出羽氏が毛利氏へ疑心を抱かないように、予め本城常光の降伏に対する了承を求めている。元祐が了承すると、元就は出羽氏に長久に渡り疎略無きことを誓う起請文を元祐に与えた。 嗣子がいなかったため、毛利元就の六男である元倶を養子として迎えた。しかし、元亀2年8月10日(1571年8月30日)に元倶が17歳で死去したため、実子の元勝が後を継ぐこととなる。また、元倶の死が元就死去の僅か2ヶ月後であり、毛利氏から要らぬ誤解を受けることを恐れた元祐は毛利輝元に起請文を書き、毛利氏に改めて忠誠を誓った。 慶長6年6月30日(1601年7月29日)に死去。享年は八十余だったという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「出羽元祐」の詳細全文を読む
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