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函谷関[かんこくかん] 函谷関(かんこくかん)は、中国河南省にあった関所。この関より西を関中といい、中原から入る上での交通の要衝にあり、歴史上多くの戦いが行われ、また故事が生まれた。 == 旧関 == 戦国時代(紀元前361年)、秦の孝公が東方からの侵入を防ぐため、王都・櫟陽(やくよう、後の咸陽・長安郊外、現在の西安市域に含まれる)の東、渭河と合流する黄河の最後の大屈曲、潼関から下流約70キロメートルの地点、南北から山脈が迫る峡谷の地(、現在の三門峡・霊宝市函谷関鎮)に作られた。3層の楼閣2棟があったという。 老子が西方に向かう途中、この関で関守に請われて、5000字に及ぶ上下二巻の書『道徳経』を著したといわれる。戦国四君のひとり、斉の孟嘗君が秦の昭襄王の討手から逃れた鶏鳴狗盗の故事でも知られる。 秦末の反秦戦争では、劉邦軍は守りの堅い函谷関を避けて南から関中に侵入し、咸陽を陥落させた。 その後の楚漢戦争で項羽軍に破壊されたが、2000年以上経過した1992年に復元された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「函谷関」の詳細全文を読む
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