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分部嘉治[わけべ よしはる] 分部 嘉治(わけべ よしはる、寛永4年9月11日(1627年10月19日)- 明暦4年7月10日(1658年8月8日))は、近江大溝藩の第2代藩主。分部家3代。 初代藩主・分部光信の三男。母は酒井重忠の娘。正室は池田長常の娘。子に分部嘉高(長男)、娘(一柳直治正室)。官位は従五位下、伊賀守。 寛永4年(1627年)9月11日生まれ。幼名は徳千代。与三兵衛。別名に光郷。三男であったが、兄2人が早世したために世嗣となり、寛永20年(1643年)の父の死去により跡を継いだ。明暦4年(1658年)7月9日深夜、妻の叔父で、当時は京都で浪人していた池田長重と対談中に口論となって刃傷沙汰に及び、長重は即死し、嘉治も翌日に傷が元で命を落とした。享年32。跡を長男の嘉高が継いだ。 法号は永泰院殿竜谷慈雲大居士。墓所は滋賀県高島市大溝の円光寺。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「分部嘉治」の詳細全文を読む
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