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刎頸の交わり[ふんけい の まじわり] 刎頸の交わり(ふんけい の まじわり)は中国の戦国時代に趙で活躍した藺相如と廉頗が残した故事。「刎頸の友」ともいう。『史記』原文には「刎頸(之)交」とある。「お互いに首を斬られても後悔しないような仲」という成語として用いられる。 == 経緯 ==
『史記』によると、藺相如は大国秦との外交で体を張って宝物「和氏の璧」と趙の面子を守り、趙王に仕える宦官の食客から上卿(大臣級)に昇格した。しかし歴戦の名将である廉頗は、口先だけで上卿にまで昇格した藺相如に強い不満を抱いた。それ以降、藺相如は病気と称して外にあまり出なくなった。 ある日、藺相如が外出した際に偶然廉頗と出会いそうになったので、藺相如は別の道を取って廉頗を避けた。その日の夜、藺相如の家臣たちが集まり、主人の気弱な態度は目に余ると言って辞職を申し出た。だが藺相如は、今廉頗と自分が争っては秦の思うつぼであり、国のために廉頗の行動に目をつぶっているのだと諭した。 この話が広まって廉頗の耳にも入ると、廉頗は上半身裸になり、いばらの鞭を持って、「私はあなたの寛大なお心に気づけなかった愚か者です。どうかあなたのお気の済むまで私を鞭で叩いて下さい」藺相如に謝罪した。藺相如は「あなたがいてこその趙です」と、これを許し、廉頗に服を着させた。廉頗はこれに感動し「あなたにならば、たとえこの首をはねられても悔いはありません」と言い、藺相如も同様に「私も、あなたにならば喜んでこの首を差し出しましょう」と言った。こうして二人は互いのために頸(首)を刎ねられても悔いはないとする誓いを結び、ここに「刎頸の友」という言葉が生まれた。この二人が健在なうちは秦は趙に対して手を出せなかった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「刎頸の交わり」の詳細全文を読む
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