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初打席本塁打(はつだせきほんるいだ)とは、野球において、打者が公式戦初打席で初本塁打を記録したケースを示す。 以下の記録はいずれも2014年シーズン終了現在。太字は現役選手。 == NPB == === 概要 === 日本プロ野球(NPB)では57人の選手(うち23人は外国人選手)によって達成されている。この中で高木守道は日本野球殿堂と名球会入りの両方を唯一果たしており、他に名球会入りしているのも駒田徳広と稲葉篤紀のみである。 投手の塩瀬盛道とドン・シュルジーはこの1打席のみで終わったため、通算打率10割・通算長打率40割という歴代のNPBでも2人だけの記録を保持している。 * 塩瀬は5月11日の試合で、5回裏二死までに0-18と大量リードされた試合で敗戦処理という形ながらプロ初登板を果たした。初めて対戦した姫野好治(投手)を三振させ、6回表二死一塁で今度は初の打席に立った。姫野の初球を打ち、右翼席最前列に落ちる2点本塁打を放った。投打で最高のスタートを切ったが、良かったのはここまで。6回裏に3四球に安打、ボークに重盗でたちまち2点を失い、7回裏は安打と2四球で無死満塁と傷を深めたところで降板。結局11人の打者に対して2安打と5四球と本職では全く機能できず、この試合を最後にその後は登板の機会を与えられぬまま引退した〔宇佐美(1995年) pp.369-373〕〔千葉(2001年) pp.49-50〕。 * シュルジーは5月29日の試合で、5-3のリードを守るために長谷川滋利のリリーフとして登板したが、2点を取られて追い付かれてしまい、試合は延長戦に突入した。この後に時間切れを見越し、守備固めとして5番にシュルジーを入れていたのたが、シュルジーは11回表の二死で打席に入り、赤堀元之の初球スライダーを打つとこれがよもやの決勝本塁打を放った。この本塁打はパシフィック・リーグが指名打者制度を導入して初の投手による本塁打でもあった。その裏は投手として三者凡退に抑えて勝利投手に収まった〔。 打った57人のうち13人は通算本塁打1本で引退している。後藤忠弘と小室光男はその後、安打は各2本ずつしか追加できずに引退した〔千葉(2001年) p.50〕。 なお、野村克也、長嶋茂雄、王貞治、張本勲の初打席は三振であった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「初打席本塁打」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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