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初瀬 音羽子(はつせ おとわこ、1902年(明治35年)2月7日〔『歌劇と歌劇俳優』藤波楽斎著、文星社、1919年、P98〕 - 1993年(平成5年)9月19日)は、宝塚少女歌劇団元月組男役主演クラス・元月組組長の女優。本名:村田八重。旧姓:東海林〔『歌劇と歌劇俳優』藤波楽斎著、文星社、1919年、P98〕。秋田県出身〔『寶塚の歌劇少女』橋詰せみ郎著、新正堂書店、1923年12月5日、P65〕。入団時の芸名は初瀬乙羽子(はつせ・おとわこ)〔『歌劇と歌劇俳優』藤波楽斎著、文星社、1919年、P98〕。 この芸名は小倉百人一首の第33番:源俊賴の『憂かりける 人を初瀨の 山颪よ 激しかれとは 祈らぬものを (うかりける ひとをはつせの やまおろしよ はげしかれとは いのらぬものを)』から命名された。 ==略歴== 1918年、東京高等女学校(現・東京女子学園中学校・高等学校)卒業後に、宝塚歌劇団7期もしくは8期生として宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)に入団。 1921年? - 1928年、月組組長。 1928年、宝塚少女歌劇団を26歳で退団。 退団後、新国劇の女優・初瀬乙羽として活躍。 1993年9月19日逝去。享年91。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「初瀬音羽子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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