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初芝清 : ウィキペディア日本語版
初芝清[はつしば きよし]

初芝 清(はつしば きよし、1967年2月26日 - )は、東京都豊島区出身、埼玉県坂戸市育ちの元プロ野球選手内野手)、野球解説者、現社会人野球監督。
== 経歴 ==
埼玉に移り住んだ小学4年より野球を始める。二松學舍大付属高校では、2学年時からエース投手・3番打者で活躍し、高3夏の東東京大会は惜しくも準優勝で甲子園ならず。高校通算30本塁打。同校卒業後は社会人野球東芝府中に入社、打者に転向し、内野手としてプレーする。都市対抗野球大会に3回出場した。1988年のドラフト4位でロッテオリオンズ(後の千葉ロッテマリーンズ)に契約金4,300万円・年俸520万円(金額は推定)で入団。入団時の背番号は0であったが、その後東芝府中の先輩・落合博満がロッテ時代につけていた背番号6を引き継ぐこととなった。また、応援歌も落合と同じものだった。
には第一次バレンタイン政権の5番打者となる。同年のパ・リーグ打点王のタイトルはロッテのシーズン最終戦を残した9月27日現在で初芝79打点(残り1試合)、田中幸雄79打点(残り3試合)、イチロー78打点(残り3試合)と僅差で争っていた。一方、初芝は初のシーズン3割もかかっていて、9月27日現在で.302(454打数137安打)。最終戦で4打数0安打だと3割を切ってしまう(458打数137安打、打率.2991)ため、3割を切る可能性が出た時点で交代させると首脳陣から打診されたが、本人は「3割よりタイトルを狙いたい」とこの提案を拒んだ。そしてその最終戦では3打席凡退し(457打数137安打、打率.2997)、同年の最終打席になるであろう第4打席は8回2死走者なしで回ってきた。凡退すれば3割をフイにするうえ、走者なしのため本塁打でないと打点を上乗せできない状況で、見事にレフトへ25号本塁打(投手:豊田清)を打ち1打点を加え80打点でシーズンを終了。シーズン3割も確保した(458打数138安打、打率.301)。最終的に3人が80打点で並びタイトルを分け合うことになったとはいえ、このシーズン最終打席の本塁打により選手生活で唯一の打撃タイトル(打点王)を獲得、同時にシーズン3割を達成することができた。同年は三塁手のベストナインのタイトルを獲得。また同年オフの契約更改で、球団初の1億円プレーヤーとなる。
10月16日に対オリックス戦(千葉)でホームランを放ったが、他の10球団が公式戦を終えていて、対戦相手のオリックスや初芝以外の自軍の選手にホームランが出なかったため、20世紀最後のホームランになった。
現役晩年(2000年代)は成績こそ振るわなかったが、2003年は代打7打席連続安打(プロ野球記録)を達成するなど、代打の切り札として活躍した。
2005年9月19日、体力の衰えと若手の台頭を理由に現役引退を表明。9月22日、本拠地最終戦の対ソフトバンク戦で引退セレモニーが行われた。その後に行われたソフトバンクとのプレーオフ最終戦で逆転勝利・チーム優勝〔上位3強決定戦がパリーグのみで行われていた時代は、レギュラーシーズンの成績にかかわらず第2ステージ勝利チームがリーグ優勝チームという扱いだった。〕につながる内野安打を放って、現役最終年で自身初となる「優勝の美酒」を味わった。その時のインタビューで感極まった初芝は「みんな一緒だ。ハッピハッピーだ」と言って咽び泣いた。
その後日本シリーズを制覇し、出場することとなったアジアシリーズは、初芝本人が辞退したため出場しなかった(TBS系で放送された対興農ブルズ戦のゲスト解説を務めた)。なお、日本シリーズ制覇後の祝勝会には参加し、これが正式な現役選手としての最後の姿となった。
そのため日本シリーズ(第2戦の出場)を最後に現役を引退するはずだったが、11月5日のパ・リーグオールスター東西対抗へ、怪我をしているチームメイト・堀幸一福浦和也に代わり出場。8回裏1アウトの場面で代打で登場し、ショートフライに倒れた。
その後、12月3日には千葉県野球場での軟式草野球試合でも引退試合が行われた(初芝の他に諸積兼司井上純や同年戦力外となった澤井良輔なども出場)。初芝は選手兼監督として出場。三塁手の他に二塁手や右翼手、そして9回には高校時代以来の投手のポジションにもついた。このとき初芝は野茂英雄トルネード投法を真似て投げた。9回2アウト満塁で初芝に最後の打席がまわってきたが、結果はライトフライで試合には敗れた。試合後の挨拶でスタンドから飛んだ「初芝! 辞めるな!」という野次に「だってもう言っちゃったんだもん!しょうがないじゃん!」と返し、球場は爆笑に包まれた。
2005年12月にヤフードームで開催されたNPB12球団ジュニアトーナメントでは千葉ロッテマリーンズジュニアの監督を務めた。結果は決勝戦でヤクルトスワローズジュニアに敗れ準優勝。
2006年より千葉テレビ放送ニッポン放送TwellV(2010年から)・FOX SPORTS ジャパン(2013年から)野球解説者サンケイスポーツ野球評論家(2009年まで)を務める。その傍ら東京シティベースボールクラブ のコーチ兼ゼネラルマネージャーを務める。同年7月24日に行われたモルツドリームマッチ2006 ではモルツ球団の一員として8番・三塁手でフル出場し、適時二塁打を放つなど活躍した。
からは千葉県君津市を本拠地とする社会人野球チーム・市民球団かずさマジックのコーチに就任。4シーズンにわたってチームの指導に当たり、には長く低迷が続いていたチームを第81回都市対抗野球大会・第37回社会人野球日本選手権大会出場に導き、これを花道に同年限りで退任した。2013年12月1日よりセガサミー硬式野球部監督に就任する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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