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判官びいき : ウィキペディア日本語版
判官贔屓[ほうがんびいき]

判官贔屓(ほうがんびいき)とは、第一義には人々が源義経に対して抱く、客観的な視点を欠いた〔奥富2004、7-8頁〕同情や哀惜の心情のことであり〔、さらには「弱い立場に置かれている者に対しては、敢えて冷静に理非曲直を正そうとしないで、同情を寄せてしまう」心理現象〔を指す。「判官」の読みは通常「はんがん」だが、『義経』の伝説や歌舞伎などでは伝統的に「ほうがん」と読む。
== 第一義 ==

=== 概説 ===
源義経治承・寿永の乱後半の平家追討において活躍したが、三種の神器のうち天叢雲剣を取り戻せなかったこと〔五味2004、118頁。〕や、兄である源頼朝の許可を得ることなく後白河法皇より左衛門少尉検非違使に任じられ、頼朝の家来である御家人を使役・処罰するなどの独断専行を行ったこと〔上横手2004、91-92頁。〕が頼朝の反感を買った。さらに頼朝が義経のもとに奉行として派遣した梶原景時上横手2004、123頁。〕が、平家追討後の義経の傲慢な振る舞いについて訴えたことで頼朝の心証は一層悪くなった〔五味2004、122-123頁。〕。頼朝の怒りを知った義経は起請文を献じて弁明したが、「これまで勝手にふるまいながら、いまさらあわてて弁明しても、もうとり上げることはできない」〔高橋1979、95-96頁。〕、「こちらが不快に思っていると聞いてはじめて、こうした釈明をするのではとても許せない」〔五味2004、123-124頁。〕と、かえって怒りを増幅させてしまった。
頼朝は、壇ノ浦の戦いで捕虜とした平宗盛らを連れて京都から鎌倉へ向かった義経の鎌倉入りを拒み〔五味2004、124-129頁。〕、さらに義経が京都へ戻る際に「関東に恨みを成す輩は義経に属するように」と発言したとして、義経に与えていた平家の旧領を没収した〔五味2004、129頁。〕。続いて頼朝は「仮病を使って源行家追討の命に従わなかった」として義経を追討の対象とした〔五味2004、136-139頁。〕。義経は頼朝追討の宣旨を得てこれに対抗しようとしたものの従う武士は少なく〔五味2004、142-144頁。〕、義経は藤原秀衡を頼って奥州へ逃亡したが、秀衡の没後、頼朝の圧力に屈した秀衡の子泰衡によって自害に追いやられた〔上横手2004、108-109頁。〕。このような義経の末路は、人々の間に「あんなすばらしい方が、このようになってしまって、なんて人生は不条理なものなのだろう」という共感を呼び起こし〔鈴木2004、223頁。〕、同情や哀惜を誘った〔上横手2004、135頁。〕。
判官とは、源義経左衛門少尉であったことに〔和歌森1991、18頁。〕、あるいは検非違使であったことに〔〔鈴木2004、225頁。〕由来する呼び名である。判官贔屓という語は室町時代末期から江戸時代初期にかけて成立した〔、あるいは室町時代中期にはすでに成立していた〔上横手1997、241頁。〕と考えられており、初めて登場する資料のひとつとして、江戸時代の俳人松江重頼編集の俳句集『毛吹草』(1638年(寛永15年)成立)に収録されている

世や花に判官びいき春の風

という俳句が挙げられる〔池田1979、297-298頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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