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別技軍 : ウィキペディア日本語版
別技軍[べつわざぐん]
別技軍()とは、1881年に日本の協力で設立された朝鮮の新式軍隊。日本陸軍の指導(堀本禮造)による西洋式軍事教練を朝鮮は学んだ。
==概要==
1881年(高宗18年)5月、五軍営から80人を選抜して特選して武衛営に所属させ、その名前を別技軍とした。ソウル駐在日本公使館所属の堀本禮造工兵少尉を教官として招聘し、武田勘太郎を通訳官とした。当時、教錬所堂上には閔泳翊、正領官(大佐相当)に韓聖根、左副領官(中佐相当)に尹雄烈、右副領官(中佐相当)に金魯莞、参領官(少佐相当)に禹範善が各々任命された。
しかし、両班出身の士官生徒達は、両班ではない教官を「君」()と呼び捨てにした。これに対して、教官は、「お前らが訓練を終えても参尉(少尉相当)に過ぎないのに、優秀な上級者で、更には教官として「お前」呼ばわりされるのは耐えられない」と一喝して、服を脱いで出て行ったという。
訓練は、同年5月9日から西大門の外、慕華館を仮教場とし、後に現在のソウル師大附高の下都監に移って行われた。別技軍は、給料や被服支給等の待遇が旧式軍隊より良かったため、当時の人々はこれを倭別技()と呼んで妬んだ。
このような差別待遇は、1882年の壬午事変の原因の1つともなった。この時、日本人教官の堀本禮造は、下都監訓練場で殺害された。壬午事変後、別技軍は廃止され、五軍営に戻された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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