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利光宗魚[としみつ そうぎょ]
利光 宗魚(としみつ そうぎょ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。大友氏の家臣。大友氏庶流戸次氏の支流利光氏の一族。宗魚は法名、実名は鑑教(あきのり)。別名宗匡。豊後国鶴賀城主。 == 生涯 == 主に大友義鑑の子、義鎮(宗麟)とその子義統父子に仕えた重臣である。天正14年(1586年)に島津家久の豊後侵攻(豊薩合戦)により豊後の各地が島津軍に侵略される中で、宗魚は島津の大軍相手に豊後府内南郊の隘路に位置する鶴賀城(大分県大分市上戸次利光の大野川右岸)に籠って抗戦した。宗魚は善戦したが、12月7日に城外で島津軍と戦っていた際、流れ弾に当たり討死した。清廉な勇将と伝わる。 城兵は宗魚が討死した後もその死を秘匿し、その遺志を継いで島津軍と戦ったが、直後の戸次川の戦いで大友の主力軍が家久に大敗したため、やむなく降伏することとなった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「利光宗魚」の詳細全文を読む
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