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刺賀長信[さすか ながのぶ] 刺賀 長信(さすか ながのぶ、生年不詳 - 弘治2年(1556年))は、戦国時代の武将。刺賀城城主・山吹城城代。小笠原長雄の叔父であり、湯惟宗の義兄にあたる。 == 生涯 == 石見小笠原氏の当主小笠原長隆の四男として生まれ、その後石見国安濃郡の国人である刺賀氏に養子へと入る。 天文12年(1543年)7月、月山富田城の戦いで大敗し勢力を石見国から後退させた大内氏を追撃する形で尼子晴久が石見銀山を奪取し、これを石見小笠原氏との共同経営としている。長信自身も尼子氏方として山吹城に一時在城している。 弘治2年(1556年)には、一時毛利氏に寝返るか、また尼子方に反発したものと思われる。しかし、毛利氏が防長経略により大内氏の本領である周防国へと侵攻している隙を見計らい、晴久は出兵中だった備前国から素早く撤兵させた25,000の大軍を率いて石見国へと侵攻し、これに反撃に出た宍戸隆家率いる7,000の毛利軍は大敗(忍原崩れ)を喫した。更には後援の吉川元春も尼子軍の抵抗に手こずり、長信も籠城中の山吹城を包囲されて孤立。城内で自害したという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「刺賀長信」の詳細全文を読む
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