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則天文字(そくてんもじ)は、中国・武周の女帝武則天が制定した漢字。則天新字、武后新字とも言われる。六書の文字分類では象形文字あるいは会意文字である。 ※Unicodeでの番号は参考資料、注釈を参照のこと''(以下このページにおいて同じ)''。 武則天が権力を誇示するため、あるいは個人的な好みや考えのため制定されたとされる。武則天が失脚するとほどなく忘れ去られた。日本で最も有名なのは「圀」の字で、徳川光圀の名前に使用されている。この字は「國」の「或」の部分が「惑」に通じるので不吉だと理由で「囗」(くにがまえ)に「八方」という字が入れられた。 また、「『地』は『土』の上に『山水』がある」という理由から、代わりに「土」の上に「山水」を乗せる字「〔 U+57CA〕」が考案、使用された。 「臣」は「忠」を第一にせねばならないという考えから「忠」の上に「一」を乗せた字「〔U+22611〕」が「臣」の代わりに使用された。 武則天自身の名前「照」は「 〔U+66CC〕」となった。「空」の上に「日」「月」であり、この字は武則天のためだけの文字である。 == 概要 == 武則天は中国史上ただ一人の女帝であり、今までの慣わしを何でも改めるのが好きな人物であった。彼女が変更しなかったのは服装ぐらいのもので、まず国号を唐から周に変えた。改元は頻繁であり、官職名も変えた。中でも有名なのは、新たに字を作ったことである。彼女は自らの思想と政治力によって、あたかも服を着替えるかのように簡単に文字を変更した。この文字は後世「則天文字」と呼ばれるようになった。 例えば「天」の文字はに改められた。これは「天」の字の篆書体である。もっとも、このように形を変えただけの文字は例外であり、ほとんどの文字は新たに作られたものである。 則天文字が何文字あるかはよく分かっておらず、12,16,17,18,19,21個の各説があり、すべての説の文字をあわせると30字前後になる。もっとも、印刷や手書きの都合で異体字となっているものもあり、現在のところは17個説が有力である。 則天文字が使われたのはわずか15年間であったが、従来の文字にも影響を与えた。文化財などに書かれた文字を見ていくと、武則天の前後の影響がよくわかる〔、、・1997、42 (10):1009-1028。〕。武則天が退位した705年3月3日〔、(3月4日)、。〕、復位した中宗は国号を唐に戻した。則天文字は公式には廃止され、私文書においてもだんだんと廃れていった。現在中国では全く使われていない。もっとも当時の武則天の威光は絶大だったようで、中国国外にまで伝わっている。また、昔からよく文字研究の対象になっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「則天文字」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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