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前ヶ潮 春夫(まえがしお はるお、1931年3月12日-1979年11月30日)は、岐阜県大野郡上枝村(現在の同県高山市赤保木町)出身で、かつて高砂部屋に所属した力士である。身長175cm、体重88kg。得意手は右四つ、下手投げ。最高位は東前頭18枚目(1958年7月場所)。本名は三野谷 春夫(みのや はるお)→清水 春夫(しみず -)。 == 来歴・人物 == 小学校3年生の時に母を病で亡くし、以後は、父の手1つで育てられた。 地元・上枝村の青年相撲で活躍していた頃、巡業で高山市内を訪れた横綱・前田山に見出され、彼が所属する高砂部屋にスカウトされた。 1949年10月場所で初土俵を踏み、四股名を本名の「三野谷」から「前ヶ潮」(由来は、師匠の現役名・前田山と、同部屋の先輩・朝潮(大関)から)と改めた1953年1月場所で三段目優勝を遂げ、幕下も4場所で突破して1954年3月場所で十両に昇進。 その後は主に十両中位から下位を往復していたが、十両在位19場所目の1958年5月場所では西十両筆頭の地位にて10勝5敗と大きく勝ち越し、翌7月場所で新入幕を果たした。 しかし同場所では、2勝13敗と惨敗して、1場所で十両へ逆戻り。幕内は結局、この1場所しか務まらなかった。 それから間もなく幕下にまで陥落し、1959年9月場所後、28歳で廃業した。 1979年11月30日、逝去。48歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「前ヶ潮春夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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