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前川善兵衛 : ウィキペディア日本語版
前川善兵衛[まえかわ ぜんべえ]
前川 善兵衛(まえかわ ぜんべえ)は、江戸時代吉里吉里を根拠地にした商人網元である。長く盛岡藩御用商人を勤めた。屋号は東屋孫八、通称は吉里吉里善兵衛(きりきり ぜんべえ)。
==概要==
戦国時代後北条氏に仕えた清水富英は、相模国前川邑(現:小田原市前川)に領地を与えられていた。
しかし、小田原征伐で後北条氏が没落すると、富英は奥州・気仙浦に逃れた。子の富久の代に吉里吉里に移住し、旧領から前川と改姓した。
富久の子の富永から、代々善兵衛と名乗り、廻船問屋、網元、味噌醸造と商売を広げ、盛岡藩の御用商人として栄えた。盛岡藩に多額の融資を行う一方、十分の一税を免除される特権を受けていた。
しかし、1753年宝暦3年)、4代善兵衛富昌の時、盛岡藩が江戸幕府日光東照宮修復のお手伝い普請を命じられると、藩は領内の豪商に費用を供出させ、前川家も7500両の出費を余儀なくされた。さらに、宝暦の飢饉では蔵を開いてのべ3万2千人に雑穀を振る舞ったが、追い打ちを掛けるように盛岡藩に献金を要求された。こうしたことが度重なり、前川家の家運も傾き始めた。
6代善兵衛富長は、測量に訪れた伊能忠敬を接待した記録が残るが、船を難破で失うなど本業は苦境が続いた。以降も前川家は存続するが、豪商としての活動は見られなくなり、漁業に専念するようになっていった。
1950年、前川家所蔵の古文書(『前川善兵衛家文書』)が、水産庁によって買い取られた。内容は草創期の1630年寛永7年)から1917年大正6年)まで約4700点に及び、水産庁によって江戸時代の漁業・水産物流通の実態を伝える貴重な史料群と評価されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「前川善兵衛」の詳細全文を読む



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