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前沢氏[まえさわし] 前沢氏(まえさわし)は日本の氏族。 == 概要 == 前沢氏は本姓を平氏とし、千葉氏の流れを汲む一族で、千葉勝胤の子 彦次郎筑後守通胤が前沢姓を名乗ったことにはじまる。通胤は佐竹氏の祖 佐竹昌義に随い、常陸国太田に入り、代々、佐竹家臣として続いた。筑後守良胤は佐竹一門 川井伊賀守の女 美根を正室に迎えるなど、佐竹家中でも高い地位を持ち〔大内政之介著『新編金砂戦国史』(筑波書林、1993年)161頁、162頁参照。〕。筑前守守胤は彦太郎ともいい、佐竹義舜の近習として仕えて鎗の名手であったとされ、佐竹宗家と一門 山入氏義らとの内紛では大山孫根の戦いでは山入方の包囲を突破して義舜を金砂まで逃れさせ、その戦功により久慈東郡利員城主に封ぜられたと伝わる〔なお、子孫は常陸太田市下河合に在住と伝える。大内政之介著『山入一揆と佐竹氏』(筑波書林、1991年)72頁、73頁参照。〕。 また、国井氏の伝承によれば、利員城は石突良通、佐竹義武が城主を務めていたが、義武が久米城主に転じ、その臣である前沢九郎次郎の子孫が城主を受け継いたが、佐竹義宣が関ヶ原の戦いで西軍方についたことで秋田に転封となり、前沢氏も秋田に随行、同城を廃城としたという〔太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第3巻』(角川書店、1934年)5679頁参照。〕。
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