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前田光繁 : ウィキペディア日本語版
前田光繁[まえだ みつしげ]
前田 光繁(まえだ みつしげ、1916年9月25日 - )は、日本の海軍軍人八路軍の日本人兵士第1号。別名杉本一夫
== 経歴 ==
京都府で小規模手工業者の家庭に生まれる〔。京都市立商工専修学校を卒業後、1936年(昭和11年)に海軍へ志願。海兵団に所属するが病気のため除隊。1年間の療養生活を経て、1937年(昭和12年)南満州鉄道関連企業に就職。1938年(昭和13年)、河北省で鉄道用砂利採取場の現場監督時に八路軍に連行される。八路軍野戦政治部に送られ、1939年(昭和14年)1月2日、八路軍へ入隊を表明し、野坂参三に次ぐ日本人民解放連盟の2番手となる。同年11月には八路軍内において「日本兵士覚醒連盟」を組織した。朱徳と行動を共にして戦闘に参加した後、1942年(昭和17年)に反戦活動のため延安に移動し、終戦まで同地にとどまった。
終戦後満州に赴き、中国共産党および八路軍の活動に協力しながら、通化事件にも関与した〔我が子に伝えたい誇りある近代史 (社)日本青年会議所 新しい教科書づくり委員会 〕。
その後も八路軍のために活動を続け、1958年(昭和33年)に日本へ帰国した。帰国後は日中友好協会の理事を務めている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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