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前田 忠節(まえだ ただとき、1977年10月4日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。 == 来歴・人物 == PL学園高校時代は投手として春2回、夏1回に出場し、ベスト8(同期に福留孝介がいる)が最高。その後東洋大学へ進学。東都大学1部・2部でリーグ通算90試合出場、打率.253、7本塁打、33打点。のドラフト3位で大阪近鉄バファローズに入団。 入団1年目は開幕スタメン「9番ショート」で出場するが、当時の二遊間はセカンドに水口栄二、開幕戦はセカンドだった武藤孝司がショートのレギュラーをつかんでおり、前半戦はスタメンはわずか7試合で、出場は主に守備固めが多かったが後半戦に入った後、武藤が肩を損傷(詳しくは武藤の項を参照)、セカンドやDHに入ったためスタメンの機会を与えられた。 2年目のは開幕戦が絶望的となった武藤に代わって2年連続で開幕スタメンに入る。その後ルーキーの阿部真宏との併用が続く。6月にドジャーズ経由で来日したショーン・ギルバートが合流、ギルバートは当初セカンドが主だったが、7月に入りショートを守るようになったためスタメンを奪われる。ギルバート合流後はスタメン出場がわずか22試合であった。その後もショートとして阿部が頭角を現し、は前半戦はわずか1試合のスタメン、後半戦は27試合スタメンだった。も阿部のほかに星野おさむもショートの争いに加わり、スタメンはそれまでで自己最少の11試合だった。 スタメンが少ない一方、堅実な守備から2000年49試合・2001年48試合・2002年27試合・2003年44試合・12試合と、2004年までに405試合のうち180試合守備固めに出場。2004年オフに分配ドラフトを経て東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。 シーズン途中(交流戦期間中)に沖原佳典とのトレードで阪神タイガースへ移籍し、楽天から移籍退団した初めての選手となった。阪神に入団後は遊撃の鳥谷敬が不動であること、二塁にも平野恵一や藤本敦士がいることで出番は少なかったが、PL学園高・東洋大共通の先輩であり、守備をあまり得意としない今岡誠にアドバイスを送っていることが報じられていた。 限りで10年間の現役生活を引退し、より四国アイランドリーグplus・香川オリーブガイナーズの野手コーチに就任し、1年目から独立リーグ日本一になるなど野手陣の底上げに力を発揮した。2年間の指導でNPBに4人の野手を送り込むなど指導力を評価され、から福岡ソフトバンクホークスの二軍内野守備走塁コーチに就任する。2013年をもって退団、〔来季契約について 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト2013年10月7日配信〕2014年からは社会人野球のセガサミー硬式野球部でコーチを務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「前田忠節」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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