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前田房之助 : ウィキペディア日本語版
前田房之助[まえだ ふさのすけ]


前田 房之助(まえだ ふさのすけ、1884年明治17年)9月15日 - 1965年昭和40年)2月18日)は、日本政治家衆議院議員選挙に通算8回当選した。
== 来歴・人物 ==
兵庫県西宮市出身。1907年(明治40年)に神戸高等商業学校(現・神戸大学)を卒業し、武庫郡議、大社村長を経て、1924年(大正13年)の第15回総選挙政友本党公認で立候補し初当選〔第15回衆議院議員選挙 兵庫4区 - ザ選挙 - 株式会社VoiceJapan が運営するサイト・ザ選挙 内のページ(但し会員限定公開ページに変更されたためインターネット・アーカイブ内のページにリンク)。〕。1927年(昭和2年)に政友本党が憲政会と合同して立憲民政党を結党したため、前田も民政党に所属し同党の総務、政調会長を務めた。
犬養内閣で大蔵参与官を務めた後、1936年(昭和11年)には広田内閣で逓信政務次官となり、1944年(昭和19年)には小磯内閣で運輸通信政務次官を務めた。
戦後日本進歩党の結党に参加したが、戦時中翼賛政治会の総務を務めていたため公職追放に遭う。追放解除後の1955年(昭和30年)、日本民主党公認で第27回総選挙に出馬して当選し政界に返り咲いた〔第27回衆議院議員選挙 兵庫2区 - ザ選挙 - 同上。〕。その後日本民主党全国委員長、自由民主党総務を歴任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「前田房之助」の詳細全文を読む



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