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前田智徳 : ウィキペディア日本語版
前田智徳[まえだ とものり]

前田 智徳(まえだ とものり、1971年6月14日 - )は、熊本県玉名市出身の元プロ野球選手外野手)。
== 経歴 ==

=== プロ入り前 ===
熊本県玉名郡岱明町(現・玉名市)生まれ。1987年熊本工業高校に入学。2年時の、3年時のの計3回甲子園に出場。3年時の夏には主将・4番・中堅手として出場し、敗れた2回戦では最終打者(結果は三振)となった。
3年時の甲子園大会後、熊工には西武を除く11球団、前田の自宅にも8球団のスカウトが挨拶に訪れ、中でも地元九州のホークスは上位指名を示唆するなど熱心だった。しかし同年11月に行われたプロ野球ドラフト会議ではホークスからの指名はなく、広島が4位で指名。前田は会見場でテレビ中継を見た後、1時間近く泣き続け、一旦プロ入りを拒否。何度訪問しても口を開かない前田に痺れを切らした宮川孝雄スカウトは、「ホークスは指名しなかったが、俺達は(指名の)約束を守ったぞ。男だったら約束を守れ」と叱責、とつとつと打撃理論を語った。前田は宮川の人間性に惹かれて広島入りを決意。同年広島が指名した6名の選手のうち、入団が決定したのは前田が最後だった〔「月刊アスリートマガジン」5月号・株式会社アスリート・平成7年4月20日付発行〕。
1989年のドラフト4位で広島に入団。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「前田智徳」の詳細全文を読む



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