|
前田 通子(まえだ みちこ、1934年2月27日 - )は、日本の女優、歌手である。本名前田 好子(まえだ よしこ)。 == 経歴 == 1934年(昭和9年)2月27日、大阪府に生まれる。 父が三越宮城支店に勤めていたこともあり、女学校を中退し三越に入社する。その美貌が評判になり、「赤い羽根」のPR映画に出演している。1955年(昭和30年)、新東宝にスカウトされ、『三等社員と女秘書』で純情社員(宇津井健)を相手に、当時としては大胆なベッドシーンで銀幕デビューする。1956年(昭和31年)、志村敏夫監督の映画『群狼』『女真珠王の復讐』で売り出す。初主演の『女真珠王の復讐』では後姿の全裸シーンが話題になり、大型グラマー女優として一躍スターダムへのし上がり、わずか2年の間に20本以上に主演し、新東宝の屋台骨を支えた。1957年(昭和32年)の映画『海女の戦慄』では主題歌も歌いヒットする。 1957年、映画『続若君漫遊記・金比羅利生剣』に町娘役で出演中、加戸野五郎監督にカメラが下からのぞく中、「2階の階段の上で裾をまくれ」と注文されるが、前田は拒絶した。押し問答の末、前田が新東宝の大蔵貢社長に直訴すると、「監督の指示に逆らった」(契約違反)として役を降ろされ、6ヶ月の謹慎と会社への損害賠償として100万円(当時)の支払いを命令される。前田は人権擁護局に訴え、主張が認められて新東宝から謝罪と30万円の慰謝料が彼女に支払われた。だが、「一女優になめられた」と怒り心頭に発した大蔵は五社協定を使い、映画界はおろかテレビ界にまで圧力をかけ、前田が女優の仕事を一切できないようにしたといわれる。 大蔵は1960年(昭和35年)に退陣、この年には前田はテレビ出演も行っている。1963年(昭和38年)、7年前の『女真珠王の復讐』が再上映されて改めてヒットし、有名になっていた台湾で2本の映画『女眞珠王之挑戰』『愁風愁雨割心腸』に主演する(どちらも日本未公開)。その後、全国各地のナイトクラブ、キャバレーで歌い、軍歌を得意としたため「軍歌の前田」と呼ばれた。 1972年(昭和47年)、日本テレビの帯ドラマ『渓流の女』に主演してカムバックする。1973年(昭和48年)には東京12チャンネルのドラマ『出発進行』に主演した。 1999年(平成11年)、同じ新東宝にいた旧知の石井輝男監督作品の『地獄』で日本映画では「42年ぶりの映画出演」を果たし、話題になった。また、2005年(平成17年)まで、赤坂三丁目で「かえるの館」というバーを経営していた。 2010年(平成22年)7月28日、TBSラジオ『大沢悠里のゆうゆうワイド』に出演した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「前田通子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|